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eスポーツに携わって2年ぐらいだったかな。2008年ぐらいですかね。そん時には大体もう青図ができてたんですよ。今やってることの。その青図の通り僕は進んでいるだけなんで。

筧誠一郎03

前編Part2は「これから100年続くeスポーツを日本でやっていくために」筧さんが描く日本eSportsのこうありたいというシーンが語られています。

筧さんとeスポーツ『独立編』

じゃあもう自分でやるしかないな。と思って。結局今から6年前の2010年8月30日付けで会社を辞めて。それでeスポーツのことをやろうということで、独立するわけですよ。49歳の最後の月に会社を辞めて、50歳になった時に会社を作りました。

――――電通社員という地位を捨てて、相当なダイブかと思われますが

あー、周りの連中からは、お前みたいな辞め方をするやつはいない!とね。

みんな何がしか仕事を持ってやめるか、転職先が決まって辞める、そういうふうにしてやめるんだ!と。だって売上どうすんだよ!どっから給料もらうんだ!とかね。ふふふ。でも、きっとまあなんとかなるっしょー!みたいな感じでね。

――――50歳になってからの独立ですが、もうちょっと若い時には考えられなかったんですか?

考えたことありますよ。やっぱり。誘われたこともいっぱいありますし。一緒にやろうよーとか、仕事手伝ってくれとかね。一回本当に辞めかけたこともありましたけど、プレイステーションができた時にね。ソニー・コンピュータエンタテインメントにほんとマジに誘われたし、転職もしようと思ったんですけど・・・。 何かね、会社の同期達がねえ「行くな!」って言ってくれましてね。へへへ。

――――これほどゲーム漬けだったらゲーム業界に行かれなかったのかな?と思うんですが。

そうですね。電通だからできること、というかね。電通だったら、こう、いろんな好きなことをやれるってのがあってね。

ちょうど、最初の就職で会社を選んだときもそうだったんですよ。 僕の大学時代は、ゲームか、音楽か、麻雀か、みたいなもう完全なオタクですね。で、音楽は中学校から好きで、ずーっとやってて、音楽業界に行きたいなと思っていたんですけど。自分はプレイヤー(演奏者)としては失格だったんで。裏方にまわったほうがね。いいかなあと。

でも、レコード会社入った先輩達がね、こんなこと言うと怒られちゃうんですけど、あんまり幸せそうに見えなかった。フュージョンの名手と言われた人がねえ、レコード会社行って、演歌の担当になっちゃったりしてね。あれ?こうじゃないよなーみたいなね。あはは。

筧誠一郎04

でちょうど、たまたま電通で音楽の事業とかやってる人がいて、入ってすごく楽しそうだったんで、じゃあ電通入って音楽の仕事ができたらいいなと思って入ったんですよ。そしたら音楽の仕事結構できるようなっちゃって。

――――あれ?ゲーム会社に就職しようと思わなかったんですか?

当時はゲームで就職先なんてなかったんですよ~! だってまだファミコンも発売されてない時代ですから。ゲームで食ってく、みたいなのあんまりなかったんですよね。 いくらインベーダーやってるからってタイトーに入るかっていう感覚はなかった。

僕が就職した1983年の前って、それこそもう怪しい人達がバッタもんのインベーダーゲームの基盤を喫茶店回って売り歩いてる時代ですよ。 ゲームってなんぞやっていう時代だった。

――――うわぁ、なるほど。あのころゲームは、まだ新しくて。今でいうインターネットきたー!ぐらいのインパクトで

ほんとなんだこれは!ですよ(笑)。ただ、当時はもっと怪しかったですよね。 だってリアカーで引いて基盤売ってんですよ。一軒一軒訪ねて。「いりませんかぁ~」ってね(笑)。もう、怪しすぎますよね。いくらなんでも。

――――すみません横にそれましたが、独立のお話にもどりまして。50歳になったときに、いよいよと

はい、いよいよと。個人会社のベースポイントっていう会社を起こして。エンターテインメントコンサルやります、みたいな。当然eスポーツでお金にはならないので。ちょうどそのころ音楽は苦境の時代だったんで、音楽業界の人はみんな「辞めたか!頑張ってくれ!」ってね(笑)。

でもゲーム系のところはいくつか「じゃあ手伝って~」っていう話があって、コンサルとしてお手伝いさせていただきながら、eスポーツをまあ何とかしようみたいな形で。やってたんですよね。

――――その時はおひとりですか?

もう全く一人です。

でも、電通って時々ね。ひとり電通みたいな奴がなんかいるんですよ。一人でやってる連中がいて。僕はゲームと音楽、あいつは歌舞伎、あいつは映画と。独自で動いてる奴がいるんですよ。だから平気でした。

それで1年位やってる時に、今のe-sports SQUAREやってらっしゃるsanko(当時:三光)という会社の鈴木社長と出会って。鈴木さんにeスポーツの話をしたら、これは面白い!ってなって。じゃあ一緒にeスポーツ事業を始めましょうということで、eスポーツエージェンシーを立ち上げるという形になって。

で、三光さんに対してコンサルをやりながら、僕の中であったイメージとしては、全国にe-sports SQUAREみたいなのがあって、フランチャイズチームがあって、戦うと。まあJリーグとか高校野球みたいなそういう構想をやりたいんだって話をしてたんですよ。

それでeスポーツJAPAN CUPっていう大会をスタートさせて、まあ5回ぐらいやったんですけどね。2011年11月に千葉県市川市にe-sports SQUAREを立ち上げ、市川で2年やり、で、それが2014年1月に秋葉原に移転しという形になってるわけです。

E-sports SQUARE市川 e-sports SQUARE市川 出典元:Negitaku.org

E-sports SQUARE秋葉原 e-sports SQUARE秋葉原 出典元:e-sports SQUARE

僕にとってのeスポーツ

――――2010年9月に学生選手権をやられてますが、どうして学生からやられたんですか。

さっきちょっと話に出ましたが、僕は「日本全国津々浦々でeスポーツを楽しむ」っていう風になってってほしいなぁと思っていて。そうすると、すそ野を広げるっていう意味で、大学生、高校生、中学生、小学生というところからeスポーツを楽しんでほしいと。 で、そのために全国に拠点があればいいなと。

イメージとしては町にある碁会所なんですよ。碁会所とか行くと、段位の高いお爺ちゃんもいるし、そこに小学生がやってきて、お爺ちゃんと指して、いつかその子がお爺ちゃんを追い抜かしてプロ棋士になる、みたいな。そういうのが全国にあるじゃないですか。それってすごく、いいじゃないですか。

やっぱそうやって全国でeスポーツにふれてもらうためには、全員が全員秋葉原に来れるわけではないので、全国に親しめる場所がないといけないよねと。それが、e-sports SQUARE市川だったんですよ。

こういうところに学生さんを呼んで、気軽に来てくれて、そこにチームがあって、そのチームの選手が楽しんでやっている姿を見て、時には対戦したりとかその中で。そんな交流があって、それを見てる子どもたちが、どんどん成長していくっていうのが、これから100年続くeスポーツを日本でやっていくためには必要だろうと。 それが一番最初のベースなんですよ。

でそうすると、下からは行けないじゃないですか。上から順々に降ろしていくしかない。 だから社会人でプロをやってるんだったら、その下の大学生でeスポーツをまず浸透するっていうのが重要だなと

で、大学生選手権ってのをやろうよ。って話しかけて、いろんな大学生と話してたら、専修大学の連中がまあ乗ってくれて。専修大学の中でeスポーツ学生連盟というの作り、そこを中心にまずは大学生選手権大会をやってみようと、いうことでやったんですね。

Eスポーツ学生連盟(eSPA)@eSPAjp2012年の専修大学生のツィート 出典元:eスポーツ学生連盟(eSPA)@eSPAjp2012年の専修大学生のツィート

そしたら、専修大学の福富先生って方がたまたま専修大学のある川崎市に趣旨を話してくださって、そういうことだったら川崎の産業会館というところをタダで貸してあげるよと、太っ腹のところを見せてくれてですね。川崎市って、文化を何とか広めて行こうっていう、そういうところがあって。 で、タダっていいねぇ(笑)じゃあそこで、やろうやろう!ということになり、手探りで学生選手権をやったと。

種目の垣根を越えて、いろんなアスリート達が仲良くなってく姿がすごくいいなと思って。僕はもっと広くいろんなゲームの競技者が集まれる場所を作りたい。

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――――eSportsは部門がいくつかありますが、今まで好きだったゲームなど、個人的にでも、戦略的にでも、特に注力しよう思われた部門やタイトルはありますか?

これはよく僕がeスポーツを説明する時に使う言葉なんですけれども、eスポーツという言葉は 陸上競技って言葉とニアリーイコールだと。

陸上競技の中には器具を使う棒高跳びみたいなのがあったり、脚力を競う100mがあったり、100m絶対早く走れないだろうなっていう体型をした砲丸投げの選手がいたりして。 これを全部総称して、土の上でやるのが陸上競技だと。

eスポーツもいろんな部門があって、それぞれで得手不得手があって。そん中で電子の上でやるものは全部eスポーツっていうんだと。だからeスポーツと、陸上競技はニアリーイコールなんだという僕の考え方がある。

で、そうすると、どの部門に注力するというよりは、全てやりたいんですよ。eスポーツであるものは。

だから、僕がやる大会は、単一競技でやる大会ではなく、複数で最低でも2個、3個部門がある。陸上競技の大会をやってるようなイメージでやりたいと。そういう形で。 だから僕は陸上大会を開いている人なんですよ。イメージとしてはソレです。

――――なるほど。これはやはり、電通時代を通じて、プレイヤーと提供側の両方を経験し、さらに海外のeSports事情に衝撃を受けて、総合的にゲームが盛り上がってる「シーン」を作るということに、すごく惹かれたということですか?

そうですね。 陸上競技では、国体みたいなのやってるじゃないですか。県ごとに選手団があって違う種目の人たちが垣根を越えてすごく仲良くなっている。オリンピックもそうですけれども、室伏さんと100mの誰とが、仲いいみたいなね。僕見てて、ああいうの面白いなーと。 単一競技だったら、その競技の中で仲良くなるのは当たり前なんだけれども、種目の垣根を越えて、いろんなアスリート達が仲良くなってく姿がすごくいいなと思って。

例えば、eスポーツでいうと、かつて韓国はStarcraftっていう競技だけだったんですよね。Starcraftだけで全てが成り立っちゃってた。 するとStarcraftの人気がなくなっちゃうと要するに死んじゃうって市場なんですよねー。 韓国の市場は、リーグオブレジェンドに移行してっちゃったからいいんですけれども。そういうところで言うと、僕はもっと広くいろんな競技者が集まれる場所を作りたい。

それで、例えばFPSの選手が、見たこともやったこともない、格闘技ゲームのプレイヤーを熱狂的に応援すると、同じチームメイトとして。青森県の代表なんだからみんなで頑張ろうぜって言ってるような、なんかこういう盛り上がりっていうのが、すごく欲しかったんですよ。 そしてそれが、日本に向いてるんだろうなと思ったんですよ。

――――そう考えるようになられたのは、何歳ぐらいの時ですか?

それはねえ、eスポーツに携わって2年ぐらいだったかな。2008年ぐらいですかね。そん時には大体もう青図ができてたんですよ。今やってることの。その青図の通り僕は進んでいるだけなんで。 地方のチーム作るとか、学生を大切にするとか、自分の理想としてるのはそっちだなというのができてきたって感じですかね。

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トップランナーインタビュー:eSportsに人生を投げうった、 日本一のeSportsファン 筧誠一郎 記事リンク

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